訪台スケジュール
3/19
10:00 | 故宮博物院見学(学芸員による日本語ガイド付)。 |
15:30-16:30 | 中正紀念堂献花。 |
3/20
11:00-11:40 |
台日文化経済協会黄天麟会長訪問。 住所 :台北市杭州南路一段63号9F |
11:40-13:00 |
台日文化経済協会に主催の昼食会会場へ移動。 会場名 :台大校友会館「蘇杭餐廳」 |
13:30 |
台湾観光協会呉朝彦秘書長訪問。 住所 :台北市民権東路二段9号5F |
16:00 |
新北市政府許育寧秘書長訪問。 |
18:30 |
亜東関係協会郭仲熙副秘書長による夕食会。 会場名 :アンバサダーホテル台北12F陶然廳2 |
訪問先概要
亜東関係協会(あとうかんけいきょうかい、East Asia Relations Commission) |
中華民国(台湾)の対日窓口機関であり、台北駐日経済文化代表処の台北本部。日本との間に国交がないため形式的には非政府機関であるが、実質的には中華民国外交部の所管。日本側のカウンターパートは公益財団法人交流協会。 1972年9月29日、日本が中華人民共和国と国交を結んだため、中華民国と日本の国交が断絶したことを受け(日華断交)、貿易、経済、技術、文化などの民間交流関係を維持するための実務機関として、同年12月2日、設立された。翌1973年、財団法人交流協会との間の取り決めに基づき、東京弁事処、大阪弁事処、大阪弁事処福岡分処を設置した。 亜東関係協会の在日(東京)事務所は、長らく「亜東関係協会東京弁事処」と称していたが、1992年5月20日から「台北駐日経済文化代表処」と改称した。その最高責任者である「駐日代表」は、実質的には「中華民国駐日大使」に相当する。 台湾の本部は、中華民国外交部と同一の所在地に存在し、外交部のホームページには「関係部署」として「亜東関係協会」が紹介されている。 |
台日文化経済協会 |
1950年6月「朝鮮戦争」勃発後、国際間の冷戦情勢は厳しくなり、アジアの共産思想は蔓延し、台湾‧日本両国の関係は中国共産党の圧力及び国際環境により厳しくなった。当時何應欽(総統府戦略顧問委員会主任)、張群(総統府秘書長)、黃朝琴(台湾省臨時議会議長)、雷震(総統府国策顧問)諸氏等96名の政界‧企業界‧学術界などの著名人から成る「台湾と日本の協力関係を推進するには文化と経済方面から着手すべきだ」との観点から1952年7月29日に「中日文化経済協会」を創設した。 当協会は台湾で最も長い歴史を持つ団体の一つであり、権威統治時代‧国民党来台時(1950~1980年代)には半官半民の組織であったが、戒厳令解除後は、一般の民間団体に戻った。2005年6月16日、会員臨時大会全員での可決により、「台日文化経済協会」に正式改名した。◆任務 1. 台湾と日本両国の文化、教育、政治、経済状況及び国民生活状態の研究 2. 台湾と日本両国における政治、経済、文化の研究発表会、文芸創作及び経済研究の図書資料刊行物の発行、翻訳と収集 3. 台湾と日本両国における学者、専門家及び技術者の紹介、訪問交流 4. 台湾と日本両国における視察、学術講演 5. 台湾と日本両国における各種展覧会及び懇談会の開催 |
台湾観光協会 |
台湾観光協会(たいわんかんこうきょうかい)は、1956年11月29日に台北市の台湾省議会内で設立された、財団法人に属する非営利機関である。現在の台湾本部は台北市民権東路2段9号5Fにある。尚、中華民国交通部観光局(台湾観光局)の設立は1971年6月であり、台湾観光協会のほうが歴史は長い。 日本においては、東京と大阪にそれぞれ事務所を構えている。1966年3月、東京に亜東観光協会として設立され、交通部観光局設立とともに「交通部観光局東京弁事処」に名称変更、1972年7月に現在の名称となる。1999年5月に大阪事務所を設立、東日本・西日本の管轄が分かれた。 |
新北市 |
新北市(しんぼくし/シンペイし、新しい台北市の略,英語:New Taipei City、台湾語:シンパッチー)は、台湾北部に位置する台湾最大の行政区。首都台北市の衛星都市であり、台北市の近郊を囲んでいる。市内三芝区は李登輝元総統の出身地。旧称を台北県といい、2007年10月以降、財政上「準直轄市」扱いされていたが、2010年12月25日付けで直轄市に昇格し、新北市と改称された。 総人口: 3,955,777 人(2014年1月) 戸数: 1,478,482 戸(2014年1月) |
亜東関係協会
新北市政府
台日文化経済協会
台湾観光協会